Thank you

いわゆるアパートメントホテルに泊まった時のこと。日本とは勝手が違い、内側からもキーを使って開閉をするタイプのドアだった。面倒くさいなあと思いながら、部屋を出る。そのとき、普段の癖で内側にキーを付けたまま、バタンとドアを閉めてしまった。一度しまったドアは鍵が無ければ開けられないにもかかわらず。無意識というモノの恐ろしさを感じるとともに、いわゆるインキ―がこの瞬間に完了し、一人の旅行者はドアの前でただ茫然と立ち尽くすしかなかった。

 


完全にやらかしてしまった。それでも落ち込んでいても埒があかないので、急いでアパートを貸してくれたホストに連絡をすると、すぐに駆けつけ、いやな顔一つせず、笑顔で鍵をぶっ壊して開けてくれた。あまりの素早さと大胆さに一種の清々しさすら感じた。「全然大丈夫だ、気にするな」という言葉と開いたドアを見て、心の中は申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいになっていた。

 


その上、彼は、寒かったろうとカフェに連れて行ってくれてコーヒーをごちそうしてくれた。カフェにいる間、何度、感謝の言葉を口にしたかわからない。「Thank you」をはじめ、英語で思いつく限り、様々なお礼を述べていたが、どういうわけか、最後には「本当にありがとう」と日本語で何度も言っていた。彼にはもちろん日本語がわからないのに、日本語でありがとう、ありがとうと。

 


なぜだろうか、「Thank you」と何度も言っているのに、感謝を述べているようには、到底思えなかったのだ。頭の中では違和感が満載だった。「Thank you」が感謝の言葉として全くフィットしていない。自分にとって、「Thank you」はどこまでいっても「Thank you」であって、普段、自分が感謝を述べるときに使う「ありがとう」には結びついていなかったのである。もちろん、中学校の英語の授業ではイコールのように習ったつもりだったのだけれども。自分が持っている感謝の語感のなかに、「Thank you」はリストアップされていなかったことに気づく。表面上ではお礼を言っているつもりでも、頭の中では全然感謝の気持ちが伝えきれていないように思えてしまう。文字面を変えて、「サンキュー」とか「さんきゅー」とかを頭でイメージしたほうがしっくりくる。頭の中が、日本語という母語によって構成されていることを、ここまでまじまじと実感したのは初めてだった。

 


とにかく、最終的には日本的なスタイルで感謝を伝え、他愛もない会話をして一時間ほどがすぎた。彼が日本に来た時に、インキ―したらすぐに駆けつけるよと、最後に冗談交じりの会話を交わし、その場はお開きとなった。その後、日本に帰るまで、部屋のキーを、ポケットの中で確認しながらドアを閉めるようにしたのは言うまでもない。失敗して人は強くなるのである。