ごみは窓の外に

ごみ、ゴミ、gomi、GOMI。人混みに負けないくらい街中に散乱しているゴミ。チャイのカップや食べ残したカレー、ビニール袋にお菓子の袋。とにかく何でも、どんな場所でもなりふり構わず捨ててある。ゴミを集めて回収するひとはいるのだが、それを上回る量で人々がポイ捨てをしているのである。チャイを飲んではポイ。カレーを食べてはポイ。お菓子を食べてはポイ。生ごみも混じっているので、放置され続けると異臭を放って、蠅がそこらじゅうでたかっている。

列車に乗っているときも、弁当を食べ終わって容器を捨てるところがなく、仕方なくキープしていたところ、隣のインド人が貸してみろと言って、私のゴミに手を伸ばした。その2秒後にはそ、のごみを窓からポーンと捨てていた。彼らにとって地球はゴミ箱なのだと言わんばかりに。この行為だけは何回見てもカルチャーショックである。

私が

「なぜインド人はそんなに簡単に外にゴミを捨てるんだ」

と聞くと、彼はこう続けた。

「ゴミを片付ける仕事をしてるやつがいるんだ。しかもそいつはその仕事しかつけない。だから俺らがゴミを捨てないで自分で片付けちゃったら、そいつの仕事を奪ってしまうだろ。そうするとこの社会で飯が食えないやつが出てきて、結果として社会がうまく回らなくなってしまうんだ。」

周りのインド人もそうだそうだと言っている。いや、その発想はなかった。ゴミを捨てることで雇用を促進してるという斜め上の発想。彼らは当たり前のようにこの考えをもっているのである。電車の中で私は何も言い返すことが出来ず、ただただぐうっとうなっていた(心の中で)

その認識が社会全体に広がっている以上は、ゴミのポイ捨ても、蠅も減らないのであろうか。雇用を生み出すのはいいんだけど、自分で自分たちの住む場所を住みにくくしてないかと、おせっかいな日本人(私)は思ってしまう。

 

ただ、その環境下で、生活を続けると、チャイの容器ぐらいなら、たまにポイっと捨ててしまうようになってしまった。慣れというものは怖い。日本だったら多少の罪悪感があるのだが、全員が同じことをやっているインドでは、全くそういった感情はわかなかった。

日本では、「ポイ捨てはいけません」という感情を誰もが多少なりとも持ち合わせている、はずである。かつ、それを他人にも要求するため、なんとなく心の中で「誰かが見てるのにポイ捨てなんて。。。」と後ろめたさが残ってしまう。一方、インドではそんな他人の監視の目なんか存在しないから、存分にポイ捨てができてしまう。彼らからしたら捨てるなんて感覚すら無いのかもしれない。こういった他人の目の在り方も、一種の文化であり慣習として成立しているのだろう。

そんなインドでも、ガンジス川などの観光地や、メトロなどではゴミ箱が設置されている。しかも、「ゴミは捨ててはいけません」などの立て札が設置してあり、その甲斐あってか地面にはゴミがあまり落ちていない。 そして、インド人もちゃんとゴミをゴミ箱に入れているのである。 外国人なども増え、先にあげた他人の目を持った人が増えたからだろうか。結局、日本人とかインド人とか関係なくて、自分がどういう環境、慣習、文化の下にいるのかによって、行動が変わってくるのかもしれない。インド人だって他人から見られていたらゴミ箱にきちんとごみを捨てるし、日本人だって、みんながやってたらいとも簡単に街中にポイ捨てしてしまう。(自分がそうだっただけかもしれないが)

赤信号みんなで渡れば怖くないとはよく言ったものである。